私が難関国立大学を出て得たもの・失ったもの。
名古屋大学を卒業して10年が経ちました。
学歴、は、今も、これからも、どんどん価値を失っていくものなのかもしれません。
でも、ふと思うことがあり、このブログを書いてみようと思いました。
10年前にはわからなかった、私が得たもの・失ったものについて。
○○○得たもの○○○
私は30才で転職しましたが、その時"名古屋大卒"という経歴はほとんど意味がありませんでした。
ただ、基本的な読み書きや計算はできるのね、という程度です。
また、恋愛・結婚市場において、"名古屋大卒"は正直微妙でした。
よほどの大企業で働いていない限り、出会う男性のほとんどは自分より学歴は下。
合コンに行ってもそうです。
私は気にしなくても、気にする男性は気にします。
実際、私が今も連絡を取っている既婚の同級生や先輩は皆、"名古屋大卒"同士で結婚しています。
(私の周りだけの話かもしれませんが。。)
そんなこんなで、得たもの。。
それはただ一つ、"私はがんばれる人間だ"という自分への信用、自信でした。
中学、高校と、めちゃめちゃ勉強をしました。
"めちゃめちゃ勉強をしなくても、勉強ができる人"というのをたくさん見てきましたが、私はそうではなかったので、こつこつ勉強をしました。
眠る時間も含め、青春の半分は勉強に費やしました。
そんなに勉強したのに、今ではほとんど覚えていない、、もったいない、とも思います。
でも、その副産物として、"私はがんばれる人間だ"という自分への信用、自信を得ることができました。
自信は、私が自分の手で得たものです。
誰にもらったものでも、お金で買えるものでもありません。
そんなのいらないし、と言われるかもしれません(笑)
でも、何かチャレンジしようとする時、人と違う道を選ぼうとする時、思い出すんです。
大変かもしれないけれど、私はがんばれる、大丈夫、って。
我慢、とは違うんです。
自分が自分の人生を生きていく土台、基礎のようなもの。
振り返ると、学歴、ではなく、学歴を得るまでの過程が、今の私を支えてくれているんだなと思います。
●●●失ったもの●●●
青春(笑)
の、多くの時間。
勉強ばっかりして、、とか、学歴だけよくたって、、とかいう言葉は、正しいと思います。
大切なものが欠けている人も多いと思うので。
でも、勉強してみるのも、より高い学歴を目指すのも、私はそんなに悪いことじゃないと思います。かっこ悪いことでも、ないと思います。